2008年8月2日(土) ジュミエージュ大修道院
今日は、ずっと、行きたかった、ジュミエージュ大修道院(Abbaye de Jumièges)の廃墟を見に行くことに。
ジュミエージュ大修道院は、セーヌ河岸にあって
うちから、車で1時間ほどの場所なのだが
どうにもこうにも、アクセスが悪くて
車を持ってないと、どうやって行けばいいのかわからなくて
ずっと、行くに行けなかった悲願の場所なのだ。
近い方が遠い。
車がないと、近場はなかなか行けないのだ。
が、なんのことはない、夏休みになると、
むしろ
路線バスの本数があることが判明。
なので、県営バスに乗って、行くことにしたのだ。
でもさ、バスなんかできてた客は、わしらだけだったよ。
バスで約50分。
県バスは1回2ユーロ。
でも、どこで降りていいのか分からないので
運転手のおばちゃんに「ジュミエージュ修道院に行きたい」と言って
止まってもらった。
ジュミエージュ修道院は、今は、崩れた修道院跡しかない。
が、「フランスで一番ロマンチックな廃墟」と言われているくらい
素晴らし廃墟なのだ。
ミシュラングリーンガイドでも、堂々三ツ星がついている。
朝から天気がはっきりしなかったので
行こうか、行くまいか迷ったんだけれど
結果的に、着いたら、すごく晴れたので
行ってよかった!
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これが入口。 入場料5ユーロ。 入口の建物は修復されている。 |
ちょっと寒いけど、 無事に着いた〜 |
入口の建物を 内側から見たところ。 ショップが充実していた。 |
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井戸。 |
これが、ジュミエージュ大修道院の廃墟。 大きいので、全貌は空から 撮影しないとわからない。 |
ガイドしてくれた女の子。 1時間近くたっぷりと説明してくれた |
ジュミエージュの歴史は非常に古い。
まず、7世紀ごろに、修道院が建ち
9世紀ごろ、バイキングが攻めてきて
僧たちは、ジュミエージュを放棄して、一度廃墟になる。
バイキングは、ノルマンディー公になるわけだけれど。
それから、1020年に、再建。
かなり、修道院としては栄えたようで
全盛期には、4つの教会が、あったようだ。
遺跡には、一番大きな、ノートルダム教会と、
修道士限定だったサンジャン教会が、残っている。
ロマネスク様式なのに、ものすごく、大きい。
結局、フランス大革命で、修道院は、無人になり
その後、何人か、所有者が変わって
そのたびに、工場にしようとしたり、
教会の石を使って、家を建てるので、
ダイナマイトで爆破されたりしたらしい。
それで、今の、「素敵な遺跡」の姿になった。
今では、修復はされず、この、素敵な廃墟の状態のまま保存することになっている。
だけど、なにぶん、廃墟なので、壊れないように
強化工事をしている最中だった。
しょうがないけど、足場が組まれていて、かなり覆われていたので、残念。
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ノートルダム教会の正面。 ロマネスク様式なのにすごく高い。 二つの塔も同じくらいの高さ。 装飾はほとんどない。 |
斜め横から、塔を見たところ。 46mあるらしい。 ノルマンディー特有の修道院の高塔では最古のもの |
装飾はわずかしか残っていない。 彫刻などは売られてしまったのだ。 これは、ライオンちゃんの柱 |
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トランセプトの壁。 一番高いところには、 鐘楼があった。 |
後陣の土台部分。 ゴシック様式のチャペルも一つだけ かろうじて、残っている。 |
このへんから、青空で、 太陽が出て、気持ちよく暑くなった。 |
大修道院付属のサンピエール教会には
カロリング王朝時代のフレスコ画(9世紀)や
建築が残っている。
いずれも北フランスでは最古のものらしい。
大修道院は、広大な敷地に建っている。
もともと、バティルド女王が、領地を与えたらしく
今も、東北に、フランス式庭園、横にも、広大なイギリス式庭園がある。
修道院当時は、ここで、農業をやったり、ワインを作ったしていたのだろう。
それから、所有領からあがる十分の一税、
セーヌ川の「使用権」も与えられたそうなので
釣り人から、料金をとったり、セーヌを航行する船から通行税をとったりしたらしい。
昔は、セーヌで、
クジラも取れたって言うけど、ほんと???
それは、驚く!
とにかく、とても、豊かな修道院だったそうだ。
遺跡になってしまうと、当時の生活はなかなか想像しがたい。
ジュミエージュは、今では、観光客もたくさんいたけれど
キャンプ場として、にぎわっていたし
農業をやっている住民も多いらしく
なかなか、田舎町にしては、華やいでいた。
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たいへん、素敵な廃墟っぷり |
アルクブータンが残っているのは、 この1か所だけだそうだ |
樹齢数百年の美しい木々が たくさんあって、 時の流れを感じさせる |
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シャルル7世の道を外側から |
ノートルダム教会の回廊側 |
中央のイフの木を中心にして、 回廊があったはずの場所 |
入口の建物は、修復されているので、きれいだ。
これは、天上交差リブの交差する「カギ」のところにある、彫刻で
葉っぱの中に男の顔がある優雅な彫刻で
14世紀のものらしい。
もともと、私がジュミエージュに来たいと思ったのは
「ジュミエージュ修道院のエネルヴェ」
という
謎の絵画に魅せられたせいだ。
Evariste Vital Luminaisという人が描いた絵(1880)。
ルーアン美術館にある、その絵には
セーヌ川を流れるベッドの上に、
二人の顔色の悪い病人の男が横たわっている。
見るからに不思議な絵なのだ。
この二人が、ジュミエージュ修道院に流れ着いた「エネルヴェ(énervés)」なのだ。
”エネルヴェ”というフランス語は、今、普通に使うと「いらいらした、興奮した」という意味なのだが
この二人は、いらいらどころか、覇気が全然ない。
むしろ、死にそうな青白い病人。
それもそのはずで、この人たちは、神経(nerf)を抜き取られたという意味で”エネルヴェ”というのだ。
複数の伝説があるらしいが、
「バチルド女王の二人の息子が、反乱を起こそうとしたのを罰するために
足から神経を抜いて、セーヌを小舟で流したところ、ジュミエージュ修道院に流れ着いた」
というものが、一般的。
・・・足から神経を抜いてって、何?
神経を抜くって、今なら、ロボトミー手術のことだよね?
なんで、ベッドで川を流されてるの?
とか、つっこみどころが、満載の、怪しい絵画なのだよ。
とにかく、印象深いので、一度見たら、忘れられない絵だ。
実際、二人のエネルベの墓石があるらしい。
もっと、ロワイヤルな二人の彫刻のようだが。
が、それは、見学不可な建物の中に安置されていた。
がっくし、残念。
一応、イメージビデオみたいなのが作られてて
ショップでも売られていたけれど
エネルベグッズがあまりなかったので
エネルベ目当てだった私は、ちょっと、ものたりなかった。
エネルベ饅頭があったら買っちゃうのにな・・・。
しょうがないから、また今度、美術館に絵の方を見に行こうと思う。
バスの帰りの時間まで、たっぷりあるので
カフェに入って、お茶をする。
綺麗なしゃれたカフェで、なかなか繁盛していた。
天気がいいと、時間つぶしも、気持ちイイ。
ああ、土砂降りにならなくて良かった。
ミシュランガイドによると、「近隣の見どころ」に
徒歩2分のところにサンバランタン教会という
ロマネスク教会があるらしい。
時間もたっぷりあるので、ひやかしがてら、見学に行く。
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周りに墓地がある、ロマネスク教会 |
正面も簡素だけれど素晴らしい。 11世紀の終わりごろから12世紀初めのもの |
16世紀ころに建てられたゴシックの後陣と、 ロマネスクな部分(手前の身廊)が、 ハーフティンバーの部分で つながれている。
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なかなか、素晴らしい教会だ。
ネフの部分が、不釣り合いに、ひどく大きいし、長い。
無骨なタンカーのようだ。
昔は、ジュミエージュ大修道院に来る信者を
ここでも収容していたという。
中には、お姉さんが、一人座って、暇そうに本を読んでいた。
最近、教会内部の盗難事件が各地であるので
無人で開けておくことはできないのだ。
内部は、教会には珍しく撮影禁止だった。
ポリクロームの彫刻がたくさんあって可愛かった。
お姉さんのところに、素敵な、教会の写真入りパンフレットがあったので
「いくらですか?」ときいたら
「無料です」という。
で、でも、とても立派な小冊子なんだよね。
ただでもらっては申し訳ないので、寄付してこようと思ったんだけど
少しだけ気持ちのお金を置いてきた。
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